俺と『涼宮ハルヒの憂鬱』

随分と新生活にも慣れて忙しながらも俺は上手くやっている
便所の落書きみたいなメンヘラ記事を書いてはみたものだが投稿して数週間で既に黒歴史と化している


5月3日火曜日 天気は晴れ
この季節の夜だっていうのにクソみたいに暑い中俺はなんとなくTwitterを見漁ってた

すると一つのツイートに目が止まる



涼宮ハルヒの憂鬱 一挙放送!!】







へぇ、といった感じだ






勘違いしないでもらいたいが俺は涼宮ハルヒの憂鬱という作品が大好きだ
そりゃもう大が足りないくらい


けれどそんな俺は何故か見るのを躊躇った
なんでだろうな

しかし、数年前の思い出に目を背けるのはアホらしいのでこの後最終話辺りからは見だしたのだがやはりこいつは面白い

そりゃもう今まで見た作品で一番って言っても過言じゃない

とてつもない満足感と共に俺は手付かずの課題を後にして機嫌良く眠りに付いた








付けなかった





何故だか知らんがこの季節にそぐわない気温に含め俺の心の中には猛烈に湧き出てくる何かがあった






それは正しく懐かしみだった



俺が涼宮ハルヒの憂鬱という作品を見た、というより読んだのは小学六年生の頃だった

周囲の連中には今で言う大物ラノベ、所謂SAOやらとあるシリーズを読んでるのもいたんだが正直ハルヒを読みふけていたのは俺だけだったと思う



単純に面白かった とでも言おう

確かに作品に対して、もしくは内容に対して考えるところは多い
当時の俺も理解できないことが多すぎてよく読み飛ばしたもんだ

だが

涼宮ハルヒの憂鬱という作品は理屈抜きで面白いと感じることができる」


俺はそう思うね


思えばこの少しかっこつけた理屈っぽい語り口
痛いと思われてもしょうがないが正しく作品内の主人公『キョン』から移ったと言っても間違ってない

気持ち悪いか?ああそうだろうとも 笑ってくれ

それほどにあの作品は俺に対して与えるものが大きすぎたと思う


当時そんなことは思いもせずいそいそとページを捲っていた俺を思い出すとなんだか感慨深いものがある


なんてったって今俺はあの日読みふけていた本の主人公達と同じ高校一年生なんだから










誰もがあの作品を読んだり見たりして思ったはずだ
「こんな世界に行きたい!」

例に違わず俺だってそうさ
あんな面白くてハーレム放題の素晴らしい世界にどんな文句があるんだ?って話だ


神様みたいな能力持ったすんごい美人の同級生に振り回されて宇宙人やら未来人やら超能力者に囲まれる
その癖そいつらからの待遇は良いと来たら誰もが思い描く非日常そのものだ



しかし、現実っていうのは非情に厳しい

なんてセリフが本編にもあった気がする


その言葉の通り俺の周りにはそんな連中がいる訳なく、ましてや寄り付いてくれなんかしない

さらに言えばあの日夢見た絵空事は全て叶わないなんてことを理解できる歳になってしまった


ひょっとしたら、なんてことを俺はほんのつい最近思ってたのかもしれないな







今日、俺は自転車を転がして部活帰りの急で長い坂を降りていた

因みに身バレに繋がるかもしれないがどうしても言わせてもらうと俺の通っている高校は「○○北高」といい、とんでもなく急な坂を上り下りしなくちゃ通学できない


作品の内容を知るやつならほう、と思うだろ?
まさにドンピシャだ



だがそんな場所でもやっぱり『ハルヒ』の様なことは現実には起きない

そんなことを考えながら100点満点の照りつけを見せつける空を見ながら思った

(ここ、うまい具合に話を盛っているように聞こえるかもしれないが本当にそれができるほど坂が急なんだ 高校生特有の黄昏なんたらってのができるんだよ)


俺の日常は遥かに『ハルヒ』よりつまらない
そりゃ全国民に聞いて全員が納得するだろう
賭けてもいい


それは別に架空の世界と現実は別って話じゃない
そんなことは理解している


ただなんとなくこんなつまらない日常にそろそろ飽きが来てもおかしくはないだろうとは思う


明日朝起きたら俺の携帯電話にはたくさんのSOS団的何かからのメールが、なんてことは地球がひっくり返ってもないわけで


実際の俺は課題やら面倒な人付き合いに追われるばかり



はぁ、と溜息をついてやりたいね








俺の日常にハルヒはいない








でもそんなもんだ

俺はそう割り切るね


叶わないことにいくら目を向けてもしょうがない


だって俺はそれが理解できる歳になったんだからな


f:id:kyuruvis114:20160505130429j:image